こんにちは! 2025年4月に入社した、営業部の木村です!

今回は、セイルの代表取締役・佐久間泰斗が「どんな学生時代を送っていたのか?」「どんなキャリアを積んできたのか?」設立する前のお話を伺いました!

▲代表取締役 佐久間 泰斗


──今日は社長がセイルを設立される前にどんなことをされていたかをお伺いできればと思います! まずは社長ってどんな学生時代を過ごしていたんですか?

小学生の頃はゲームが好きで比較的にインドアだったんだけど、スーパーファミコンの「Mother2」ってゲームにハマって。そこから急にアウトドアとか旅に興味が出てきたんだよね。

小学校では友達と自転車でどこまで行けるか試したりしてて、徐々に距離が伸びていって箱根とか群馬まで行ったり、中学では9日かけて大阪まで行ったりしてた!

あとは湖を発泡スチロールの船で渡ったり、秘密基地を作ったりしてたことが多かったと思う!

──いきなりエピソードが強すぎますね!(笑) 大阪に行った時、大変な目に遭わなかったんですか?

普通の自転車だったからパンクは10回くらいするし、間違って高速道路に入っちゃうしで。最初は3人でスタートしたけど1人は静岡でリタイアして、もう一人は大阪に着いた後に街中で奇声を上げたり急に大声で笑いだしたり、疲れすぎて変になってた(笑)

でも途中で出会う人たちがみんな優しくて、普段は会わないようなトラックの運転手がご飯を奢ろうとしてくれたり、OLっぽいお姉さんがジュースとかお菓子をわざわざ家に取りに帰って渡してくれたり、飲んだくれのおじさんの人生観を聞かされたり、宿で世界や日本を旅している人と話せたり。

大変だったけど、中学生の自分にとっては本当に良い刺激になった!

──そこで旅が好きになったんですね! 社長がエンジニアになろうと思ったのはいつ頃からだったんですか?

ゲーム1つで誰かの人生を変えられるということに感動して、「ゲームを作ってみたい」って思ったのがきっかけで、中学1年の時、溜めてたお年玉を全部使ってノートパソコンを買って、N88-BASICって言語で簡単なゲームを作り始めた!

当時、インターネットは従量課金だし情報はほとんどないから、本を読みながら独学でコツコツ作ってて。お金を溜めてVB6.0、C++も買って、学校の友達にもフロッピーで作ったゲームを配布したりしてた!

中学はプログラミングしてるか、森で本格的な秘密基地を作ってるかって感じだった!
──インドアなのかアウトドアなのかって感じですね(笑) 大学はシステム系の学校に行ったんですか

システム系の専門学校だね!
自分の反抗期が強すぎて父親と仲が悪かったから「高校になったら家を出る」ってのは決めてて、学費も自分で払うことになってたから、資格さえ取れれば学費が全額免除になる横浜の専門学校を選んだ!

──そんな学校があるんですね! 学費も稼ぎながらの学校は大変じゃなかったんですか?

最初は日雇いの派遣をやってたけど、仕事が入らないときも多くて電気とガスが止まることは何回もあって、真冬の朝に叫びながら水シャワーを浴びるのが一番しんどかった(笑)

給料前はうまい棒だけで1週間過ごしたり、その辺の雑草を食べたり、肉を食べた過ぎて革靴を噛んでみたこともあった。まずかったけど!

学校の友達がコンビニバイトをしてて、廃棄の弁当をたくさん持ってきてくれるのがめっちゃありがたかったね!

居酒屋のキッチンとホールのバイトを始めてからは食べるものに困ることは少なくなったけど、毎日9:00-16:00で学校があって、その後バイトが17:00-23:00とか17:00-5:00とかで入ってたから、2日に1回しかまともに寝れなくて、そのまま学校に来て学校の机で寝てたりしてた。

スノボーも年に40回くらいは行くほど遊びも全力だったから、過労で2回入院した! 学校を卒業するまでバイト先の人にフリーターだと思われたくらいシフトは入ってたよ!
──壮絶な学生生活ですね! 資格は取れたんですか?

1年生の秋に基本情報の資格試験があってそれはすんなり取れた! 翌年にはちゃんと応用技術者も取れて、入学金も含めた学費が全額返ってきた!

でも、1年生の時にスノボーにハマっていたから、2月に「あと何日休めますか?」って先生に休める曜日を聞いて学校を休んでスノボーに行って。帰ってきたら、「ごめん、1日計算間違えてた」って先生に言われて、理由が理由だからって補修を受けさせてもらえなくて留年しちゃったんだよね。

次は無事に進学も出来たから、一年休学してずっと行ってみたかった海外に行ったから、3年とも全部別の学年で、卒業旅行も3回行った(笑)

でもそのおかげでエンジニア友達が増えて、セイルに入ってくれたり、リーダーになった友人からは客先として仕事をもらったり、留年して良かったなって思ってるよ!

──休学した時の海外ってどこに行ったんですか?

オーストラリア! 初海外だったからよく分かってなくて、クレジットカードを1枚しか作らなくて。ATMでお金を下ろそうとしたらなんでか分からないけど、どこの銀行でも下ろせなくて。

でも3か月後の日付をずらせないFIXの航空券があるから、物価の高いオーストラリアで10万円で3ヶ月過ごさなきゃいけなっちゃって。教会の炊き出しに並んだり、ヒッチハイクで回ったり、公園で寝泊まりしたりしてたら、そこでCTOのまさ(浅賀)に拾われたんだよね。 ワーホリで来てたから、家にしばらく泊めてもらってた!

自社開発メンバーの翔太は、俺が26歳のタイミングで世界一周してる時、香港からラオスまで一緒に旅していて、わざわざセイルの為に広島から引っ越して入社してくれたし、どこでどう繋がるか分からないよね。

──すごい出会い方ですね! ツッコミどころが多くて困りますが、1記事に収まらなくなりそうなので次に進めます(笑) 学校を卒業してからはどんな仕事に就いたんですか?

応用技術者の資格があるし、卒業制作のプログラムが学校代表にも選ばれたから内定はたくさん貰えたんだけど、いずれは社長もやってみたいって話を覚えてくれた先輩がIT系の会社を設立していて、そこに誘われたんだよね。

スノボーのサークルで出会った先輩で、当時は3期目で15名ほどの規模だったから、いきなり営業、採用、事務、経理、社内SEを任せてもらうことになって、寝袋を持ち込んで業務をこなしてた。なかなかきつかったけど、経験値としては倍以上の速さで稼げたと思う!

──何年くらい働いたんですか?

合計すると3年半くらい! 入社してから2年半で、自分より10歳ほど年上のベテラン営業の先輩二人の営業成績を超えることができて、社長の先輩にも入社するときから「いずれ独立する」っていう話はしてたから、ここが区切りかなーって。

起業してしばらくは時間が取れなくなるから、その前に小さい頃から夢だった世界一周に行きたいって思って。その辺りを社長に話して辞めたいって伝えたら、「帰ってきたらすぐに稼ぐ必要があるだろうから」ってことで休職でいいよって言ってくれて。

後任を採用して引き継いだ後、結局1年5ヶ月の休職をさせてもらって世界一周に行って、帰ってきてから半年くらい働いた感じ。

──世界一周はどの国が一番よかったですか?

それめっちゃよく聞かれる(笑) やっぱモンゴルだなー。

最初の国がモンゴルで、北の町で馬二頭を買って縦断しようと思ったんだけど、途中のゴビ砂漠を超えると馬の売り先が馬肉工場しかないって分かって、さすがにそれは後味が悪すぎるから諦めちゃって。

でも、モンゴルって人が本当に良くて、知らない人なのにほどんどのゲルが、夜21時にドアをノックしても「よく来たねー、お茶飲んできなー」「ご飯も食べてきなー」「お酒も飲んできなー」「泊ってきなー」って流れで泊めてくれてくれるくらいめっちゃ優しい!

モンゴルの後、色んな国を回って、インドネシアで銛突きできる村を探して西の端から東の端まで行ったら、最後はクジラを銛突きする村に辿り着いたり、銃を突き付けられたり面白い経験はたくさんしたけれど、モンゴルを超える国はなくて。

最後、本当はアフリカに使うはずだった3ヶ月を全部モンゴルに使って、馬二頭を買って今度は横断をしたんだよね。一応、日本人で初めての馬での単独のモンゴル横断だったみたい。

──ほんとさっきから全部のエピソードが強すぎじゃないですか?(笑) 危ないことはなかったんですか?

途中、荒野で水がなくなって脱水症状で倒れてほぼ意識がない中、馬が村の近くまで運んでくれたり、山賊に首を絞められて殺されかけたり、オオカミの谷に迷い込んで一晩中、馬で走り続けたり。もう一回やったら確実に死ぬ自信はある(笑)

──壮絶すぎます(笑) 帰国してから半年働いてすぐに起業したんですか?

前の会社で半年働いた後は、エンジニアとして現場で働くことにしたんだよね。実際に働いてみたら自分の実力不足も痛感したけれどすごく楽しくて、エンジニアとしてこのまま進む道もすごく迷ったけど、他のエンジニア仲間とも「ずっと働ける良い会社を自分たちで作ろう」って話して起業した流れ!
──エンジニアと迷った時期もあったんですね。なんで起業のほうを選んだんですか?

休みの日も趣味でプログラミングしてるくらいに何かを作るのが好きだったし、エンジニアとして働いた方が自由度も高いのは分かっていたからこそ、正直、本当に迷ってて。

でも、アフリカのことわざの「早く行きたければ一人で行け。遠くまで行きたければみんなで行け」って言葉を聞いて、遠くまで行ってみたいって思って起業を選んだんだよね。

最近はよく聞く「エンジニアファースト」も設立当時は珍しくて、エンジニア仲間と働きながら感じていた「こうだったらいいのに」と思っていたことを片っ端から実現していって。

沖縄開発拠点をつくって、少数精鋭のチームで世界に通用するプロダクト作りたいというのは、設立時からみんなで話してる目標!

──私も少しでも早くセイルメンバーとして手伝えるように頑張ります!今日は色々お聞かせいただきありがとうございました!



✍️ インタビューを終えて(木村より)


いや〜、いかがでしたでしょうか? 「社長の若い頃の話」と軽く聞き始めたつもりが、自転車で大阪、雑草生活、過労で入院、留年、オーストラリアでサバイバル、モンゴル横断、山賊…と、想像の斜め上を行く壮絶なエピソードばかりで、終始圧倒されっぱなしでした(笑)

でも、そのとんでもない行動力と、ピンチの中でも人に出会い、助けられ、それが今のセイルの仲間(CTOの浅賀さんや翔太さん!)にも繋がっているという話に、佐久間さんの人柄と「引きの強さ」を感じました。
「みんなで遠くまで行く」ために設立されたセイル。 今回は設立「前」のお話でしたが、次回はぜひ、セイルを立ち上げてから「今」に至るまでのお話も聞いてみたいと思います!
以上、営業部の木村がお届けしました!

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